−幻想三國無双伝記−
銀の の龍

壱章
夢兆

 
 

1

 漆黒の闇に浮かんだ月。
 星は出ていない。金色の月だけが、冷たい光で何も無い闇の中を照らしている。
 彼女はその中に立ち尽くしている。目の前には、額に角の生えた一頭の獣。
 闇は深く、広い。天も地も判らない闇の中に、ただ月と彼女と獣が居るだけだ。
 彼女は、獣を見つめている。獣も、彼女を見つめていた。互いに目線を逸らす事無く、見つめ合ったまま微動だにすらしない。渾沌の闇の中を、ただ月だけが煌々と照らしている。
 突然、獣が動き出した。その動きは一切の無駄も無く、足音も躰の擦れる音もさせず、獣は少し頭を垂れて彼女に近付いて、静かにその角を此方に向けて動きを止める。獣は、彼女が角に触れるのを待っているのだ。その証拠に、手を伸ばせば触れられる位置にまで近付いている。
 彼女はただその動作を見つめていた。

 “……綺麗。”

 彼女の心に、そんな言葉が浮かぶ。
 獣は狼の様な姿をしている。全身を包む毛並みも、風も無いのに軽やかに靡く鬣も、四肢から伸びる鋭い爪も、全てが銀色に輝く獣……。月の光を浴びて、その姿は闇の中に鮮明に浮かび上がる。
 彼女は獣に手を伸ばした。そろりそろりと手を伸ばし、あともう少しで角に手が届く。
 角に手が掠った一瞬、体中の血が一気に逆流した気がした。

 “…………”

 耳の奥で誰かがささやいた様な気がした。その声は非道く遠くからで何を云っているのか全く判らなかった。
 その声が聞こえた時、突然辺りを照らしていた光が消えた。天中に輝いていた月は既に無く、目の前に居たはずの獣も消えてしまった。全てが虚空に消えて無くなった。
 その代わりに、不快な湿った空気が全身を包んだ。
 其処は暗い建物の中だった。
 広い部屋には大きなテラスのような窓辺、其処から見える空は、漆黒の空、星は一つも輝いてはいない。そして、先程まで彼女と獣を照らしていた月とは、明らかに違う冷め冷めとして氷の様な銀色の月。
 月の明かりが照らすところ以外、部屋の中ははっきりと物が見えない。辛うじて、家具やテーブルやベットの影が浮き上がっている。
 部屋の感じはよく判らないが、どうやら豪華な部屋のようであるということは判った。
 ふと、ある事に気が付く。大きな天蓋の垂れ下がったベッドの上に、何か盛り上がった物があった。暗くてよく判らないが、どうやら人の形を成している様だ。
 彼女はその寝床の側まで近付いてみる。それは大人の男だった。しかし、男はじっと踞ったまま微動だにしない。

「なぁ……どうかしたのか?」

 問いかけてみても全く反応がない。
 揺り起こそうと、男の躰に手を触れると、ネチャ……という音とべっとりとした感触がして、粘り気のある何かが手に付着した。
 驚いて手を引き、その手を見ると、手には赤くべたべたとした液体が着いていた。

「な……何だよ。……これ」

 恐ろしい感覚が背筋から這い上がってくる。その液体は、紛れもなく…………血。

「……っ!」

 そう確信し、男から後退る。
 よく見れば、その男は血だらけだ。男だけではない。部屋もベッドも、至るところに血痕が飛び散っている。そして、自分自身も、血にまみれて真っ赤になっていた。顔も、髪も、べたついた感触がまとわりつく。
 彼女は其処から逃げ出したい気持ちに駆られた。しかし、どうしても足がその場から動かない。
 男から、新たに赫々とした血が流れ出す。
 その血は彼女の足元まで広がり其処に彼女の姿を映しだした。……銀色の髪も、日に焼けた褐色の肌も、真っ赤な血に染まったその姿を……

 

 

 飛沫(しぶき)は重い瞼を上げる。
 耳の奥で潮騒の様な音がして、躰が非道く熱く感じる。手を持ち上げて額に掻いた汗を拭う。

「またか……」

 今日もまたあの夢だった。此処一ヶ月ずっと続いている。そして、もう何年も昔からずっと見続けている夢。
 躰を起こして窓のカーテンを開けると強い日差しが差し込んでくる。朝焼けの光だった。
 枕元の時計を見れば家族が起きてくる時間にはまだ早かった。頭の中に靄が架かった感じが残っている。
 あの夢を初めて見たのは、六つの誕生日の夏だった。初めのうちは瞬く月が渾沌の闇の中に浮かんでいるだけだった。闇が怖ろしいとは思わなかった。居心地が良く、その夢を見た日の朝はとても寝覚めが良かった事を、今でも憶えている。
 その夢を見た次の年の同じ日に、全く同じ夢を見た。ただその時の夢では、目の前に銀色の獣が姿を現した。その獣にさえ、恐怖心は抱かなかった。夢の中で飛沫は、その獣の事を知っていた。獣は彼女にとって、ごく近しい存在。或いは、鏡に映った自分の様な存在に感じられた。
 それからも、飛沫はその夢を毎年見た。毎年の誕生日の日、獣は飛沫の夢の中に現れて彼女を見ていた。常にその場所から動く事無く、ただ飛沫の事を見ていた。飛沫も、毎年見ていた物だから、夢の事はずっと憶えていた。
 しかし、今年は違っていた。今年は、誕生日の一ヶ月前に夢を見た。夢の中で、獣は初めて動いた。飛沫の方に近付いて来て、手が触れられる位置にまでやって来たのだ。しかし、飛沫が獣に触れようと思い付いた時、突然、獣は姿を消した。獣が消えた後に、あの部屋の中にいた。その時初めて、あの惨劇の夢を見たのだ。
 それから、毎日その夢を続けて見た。夢の中で飛沫の手は、確実に獣に近付いていた。今日は、一瞬だけ角に触れる事が出来た。恐らく、明日には完全に角に触れる事が出来るだろう。

 “触れたら、私はどうなるんだろう”

 そう考えて飛沫は少し自嘲気味に笑った。

 “馬鹿馬鹿しい。あれはただの夢だ”

 そう心に言い聞かせてみても、頭の中の靄は晴れそうになかった。良い方に転ぶのか、悪い方に転ぶのか、微かな期待と不安が心の中に痼りのように残った。そうして暫くの間、飛沫は窓から見える朝焼けの庭をぼんやりと眺めていた。

 

 

 家族が起きてくる時間が近付いて、飛沫はベッドを抜け出した。ベットのすぐ横に掛かったお気に入りのハンモックの中に入れられている、黒い道着を引っ張り出して羽織り、袴を履く。部屋から廊下に出ると、丁度台所から兄の極夜(きょくや)が出て来た。

「おはよ〜。兄さん」
「ん、おはよう。飛沫」

 黒くて綺麗な髪を膝裏の辺りにまで伸ばした極夜は、振り向くと軽く笑って挨拶を返す。

「兄さん、もう朝飯喰ったのか?」
「いいえ、これからですよ。朝食はもう出来ているから、これからみんなを起こしに行くところです」
「なんだ。じゃぁ私、先に顔洗ってくる」
「そうして下さい。それと、食事が終わったら出稽古ですから、忘れないで下さい」
「判ってるよ、それより兄さん。髪を結うの手伝ってよ」 

 飛沫は髪を一房摘んでみる。

「みんなを起こした後で、手伝ってあげますから」
「頼むわ」

 そう言って飛沫は洗面所の方に姿を消した。
 飛沫の髪は白かった。
 母方の祖父が北欧系の血を引いている為、母親は混血、父は典型的な日本人。そのため、飛沫とその兄二人はクウォーターだった。
 飛沫は、母方の祖父の血を濃く受け継いでいて、彫りの深い顔立ちと、白髪の髪と色の薄い瞳をしていたのだ。

「飛沫」
「ん、兄貴と父さんは起きたのか?」
「はい。じゃぁ、結びましょうか、どういった風にしたいですか?」
「面を被るから、上でまとめて欲しいんだ」
「はいはい」

 極夜は手早く飛沫の長い髪を編んでいく。あっと云う間に飛沫の長い髪は一纏めに御団子にされた。

「……はい、これで良いですか?」
「ん、完璧。サンキュー兄さん。相変わらず手慣れてるよな〜、男なのに」
「飛沫が小さい頃から、ず〜と結ってあげてましたからね〜」

 そう言うと、真白い髪を大きくひとつにまとめた飛沫と極夜は朝食を取るために台所の方へ向かった。

 

 

 朝食を親子四人で取るのは久し振りだった。此処最近、父清十郎は仕事が忙しく、なかなか家に帰ってこなかった。

「今日は、みずほんとこで練習試合だから」
「そうか」

 飛沫は楽しそうに喋りながら煮付けを頬張る。それに父、清十郎が相づちを打つと、

「此処一ヶ月、皇(すめらぎ)道場には行ってなかったから随分久し振りですね」

 極夜もさも楽しそうに笑いながら食事を続ける。今日は飛沫の幼馴染みの皇みずほの家に出稽古に行くことになっていた。
 飛沫の家は“龍巳流剣術道場”と云う代々続いている剣道の道場だった。門下生も三十人を超え、色々な大会でも、何度も優勝している。飛沫も兄二人も、達人の域にまで達している大変な実力者で、父が師範を務める道場において、師範代を務める程の腕なのだ。そして、皇家は龍巳家とは結構長い付き合いの道場だった。

「今回は兄貴も絶対参加だからな」
「……っぶ!?」

 飛沫が極夜の隣で悠々と白飯を掻き込んでる赤い髪の兄に話を振る。今まで我関せずといった態度をとっていた兄、桂斗は全くもって予想していなかったのか、危うく掻き込んだ米を吹き出しそうになった。

「……い、いや。今日は……その」
「ダメだ。もう昨日のうちにみずほに全員で行くって言ったんだからな。大体兄貴、最近出稽古どころか、うちの稽古にも来ないじゃないか。父さんが仕事が忙しい時はこっちも特に忙しいのに兄貴まで出かけるもんだから、兄貴の分の門下生までうち等で請け負わなきゃならないんだからな。どうせ、用ったって兄貴は友達と遊びにでも行くつもりだったんだろ。今日こそはしっかりと参加して貰うからな」
「桂斗、暫く体を動かしてなかったでしょう。それに、みんな結構良くなってきているんですよ。みんなの成長を確かめる良い機会じゃないですか。此処は、ひとりひとりしっかりと確かめてあげるのも師範代としての務めだと思うんですがね」

 それを聞いた桂斗は、背に何か冷たい物が走った様な気がした。恐らく、反論したらタダでは済まされない。

「そ……それはまぁ、確かに……」
「だったら、今日はきちんと来てください」
「……はい」
「先方に失礼のないようにな」
「「「はい」」」

 そして、朝食を早々に切り上げて、飛沫達は皇会館へ向かった。

 

 

2

 皇会館に着くと、道場では既に大勢の門下生が、打ち込み等の稽古を始めていた。皇道場の門下生と、龍巳道場の門下生が一同に其処に集まっていたのだ。其処に飛沫等が入っていくと全員が挨拶をしてくる。

「お〜っす」
「お早う御座います」
「ちぃ〜っす」

 それぞれ三者三様の挨拶を返す。其処へ、白い胴着に身を包んだ小柄な少女が近付いて来る。

「おはよ〜、飛沫ちゃん。久し振り〜」

 彼女が飛沫の幼馴染みの皇みずほだ。

「お早うみずほ、でも久し振りではないだろ。一昨日の終業式の時に会ったじゃんか。その前だって、学校では毎日顔会わせてただろ」
「うん。でも飛沫ちゃんがうちに来るのはホントに久し振りだから、お久し振り〜」
「おいおい」

 身長170Bある飛沫よりも8B背が低く、パーマの掛かった茶色の髪の毛を頭頂でお団子にまとめた姿は何処か愛くるしい。ふんわりとした優しそうな顔で体型もよろしい。きちんと出るところが出ていて、締まるところは締まっている。同じ体育会系のはずなのに飛沫のスレンダーな体型とは偉い違いだ。もっとも、その様なことは二人ともさっぱり気にしてはいないのだが。
 飛沫とみずほは、市内にある私立高校に通っていた。何処にでも有るような共学校で、大した取り柄もない落ち着いた高校だった。今年から、飛沫達は其処に在学していた。丁度、一昨日前期が終了し、今は夏季の長期休暇に入っている。高校生活初めての夏休みだった。

「何やってんだ飛沫。さっさと準備しろよ」

 桂斗に言われて、飛沫とみずほは稽古の準備に取り掛かった。
 皇会館は、長州派皇薙刀会館という薙刀道場だ。みずほの父親が開いている道場で、みずほの父は、飛沫の父、清十郎の旧友だった。

「ねぇねぇ、飛沫ちゃん。この後さぁ、一緒に買い物行こうよ〜。W.B.Rsの新作モデル出たんだってさぁ」

 稽古中というのに、みずほはぽややんとした雰囲気で飛沫に楽しそうにシルバーアクセサリーの話を持ち掛けてくる。

「あぁ、そういや今日だったけ。新作発売」
「私ねぇ、あのWヘッドシリーズのリング買おうと思ってるんだ〜。あとねあとね、このペンダントも良いかナーって。ほらあれ、ピンクシルバーですっごく可愛いと思うの〜」「みずほ〜、少し落ち付けって。今は稽古中だぞ。後でちゃんと行ってやるから」
「飛沫ちゃんは何買う?何買う??」

 みずほがあまりにも楽しそうに話すので、飛沫は少し圧倒されてしまう。彼女はいつもこの様な調子だ。

「ん〜私はセイグリットシリーズかなー。ホワイト.ファングやムーン.ウルフでも良いけど」
「あとね〜、新しいデザインでオオカミとライオンの珍しいコラボレーションのチョーカーが出たんだって〜。これは絶対買いだよね〜」
「狼と獅子かー、ホント珍しいな〜」
「こら其処ッ!いつまでくっちゃべってんだ。次は飛沫の番だぞっ!!」

 極夜にいびられて機嫌が酷く斜めになった桂斗に怒鳴り付けられ、渋々二人は会話を中断して稽古を再開した。

「じゃぁ、始めようか」

 そう言って飛沫は、相手に向き直った。相手はきちんと防具で固めているが飛沫は何も付けずに木刀を構える。
 相手の皇会館の門弟はぺこりと飛沫に一礼して薙刀を構える。

「宜しくお願いします!」
「あいよっ!」

 相手の元気の良い挨拶に飛沫もきっぷうの良い返事を返す。そして、極夜の“始めっ!”という開始の合図が館内に木霊した。

 

 

 出稽古は午後の二時には終了した。朝の九時からやっていたのだが、飛沫もみずほもまるで疲れなど感じさせない様子で、楽しそうに目的の店の中で買い物に興じていた。

「飛沫ちゃ〜ん有ったよ〜」
「あ、こーれか〜。結構綺麗じゃん……て、これ」

 どうやら目的の品も見つかったようだ。飛沫達が見ていたのは黒い革のベルトにシールドの中に獅子と狼が掘られた首輪タイプのチョーカーだった。

「……みずほ、これは……さすがにどうかと……」
「え〜、格好良いよぉ〜。飛沫ちゃんに似合いそうじゃな〜い」
「いや、似合うってこれ……首輪タイプだよ……(汗)」
「良いじゃな〜い。凄く似合ってるヨ〜」
「…………(汗)」

 みずほは楽しそうに飛沫にチョーカーを付けてみる。

「きゃー、やっぱり似合う〜」
「…………」

 楽しそうにはしゃいでいるみずほとは裏腹に飛沫の顔は引き攣っている。しかし、飛沫が思う程、チョーカーのデザインは悪い物ではい。

「そうだ〜、飛沫ちゃん、明日誕生日だよね〜。これ、プレゼントしてあげる〜」
「ぇえっ!?ちょ……みずほ!!?」

 飛沫が止めるのも聞かず、みずほは楽しそうにカウンターにチョーカーを持っていって会計を済ませてしまった。そして、チョーカーの入った箱を銀色の包装紙に包んで貰って赤いリボンまで付けて飛沫の元に持って来た。

「ハイ、お誕生日おめでと」
「……、強引だな。みずほは」
「えへへ〜」

 みずほの強引さに押される様にして、誕生プレゼントを貰った。これでは断るにも断れない。飛沫は、呆れたように笑った。

「……ありがと」

 

 

3

 …………渾沌の闇の中に、金色の月が浮かんでいる。
 飛沫は其処で、銀色の鬣の獣と対峙していた。
 獣は静かに飛沫の前に進み出、銀色に輝く角を飛沫に向けて頭垂れる。飛沫は、その角に触れようと手を伸ばした。角まで、後何Bも無い。

 “……あと少し”

 あと少しで角に手が届く。角に触れたら、そのあとはどうなるのかは判らないが、今は角に触れる事しか、頭に無い。とにかく、あの角に触れてみたかった。

 “あと少しで、手が届く。あと、少しなんだ”

 角の先に手が届く。一気に動作が速まって、飛沫はその角を掴んだ。

 “掴んだっ!”

 その瞬間、体中を電流が走った様な衝撃が襲った。鼓動の音が耳元で聞こえる様な気がして獣の躰が強い銀色の光を放って輝きだした。飛沫は光の眩しさに目を開けていられなくなって瞼をきつく結んだ。

 

 顔の辺りが、酷く熱かった。
 飛沫はあまりの暑さによく目を開けられない。酷く熱い顔のおかげで眠気はすっかり飛んでいた。ようやく眼を開いて眩しさの原因を見ると、窓の障子が半分開いたままになっていた。其処から強烈な朝日が差し込んで、吹雪の顔を照らしている。

 “……ぅあ〜、カーテン閉めるの忘れた”

 朝日は容赦なく飛沫を照らす。取り敢えずカーテンを閉め直してベッドから這い出た。

 “今日の夢、何時もの奴と違ってた。”

 ついに角を掴んだ。その途端に獣が輝きだし、其処で夢は終わった。あの惨劇の場面は見なかった。

 “一体どういう変化なんだ……”

 体を起こし、寝間着を脱ぐ。そして、今日もまたハンモックの中から胴着を引っ張り出して羽織る。普段着ている服はリュックの中に押し込み、i-Podを懐に入れた。
 いつもと変わらない朝が始まるはず……だった。

 

 

 今日は物凄く暑かった。
 夏休みが始まって、まだ三日しかたっていないと言うのに、三十度は軽く超えているんじゃないかと言う程の猛暑だ。
 そんな中、気迫の籠もった掛け声と、乾いた竹と木がぶつかり合う音が響き渡る。

「面っ!」
「あぢ〜」
「小手ぇっ、胴ぉっ!」
「あぢ〜」
「ほら、もう一撃!」
「やあぁぁっ!!」
「あ〜ぢ〜ぃ〜」

 飛沫達は、朝食を終えてから家の道場で剣の稽古に励んでいた。
 飛沫と極夜の稽古を横目で見ながら愚痴を零す桂斗。

「兄貴っ!さっきっから気がダレる様な声出すんじゃねぇっ!益々暑いじゃねぇかっ!!!」
「五月蠅ぇ〜。暑ィモンは暑ィんだよ。お前ぇ等みてぇにこんな炎天下で元気に稽古する奴等の気が知れんっ!」

 桂斗は苛立たしく膨れっ面で、道場の端に敷かれた畳の上で胡座を掻いて座っている。
 飛沫と極夜は紺色の胴着姿に剣道の防具を着けて稽古の真っ最中だった。

「だいたい、熱中症になるってんで、わざわざ親父が稽古休みにしたってのに、何でお前等そんなにがんばってんだよ」
「「退屈だから!」」
「……だーっ!そんな理由で俺まで引っ張ってくんなーっ!!」

飛沫と極夜のさらっとした返答に桂斗は切れ気味になって怒鳴る。

「良いじゃないですか桂斗。どうせ暇なんでしょ?それに道場の中は涼しいでしょう?」
「お前等見てると暑苦しくて叶わん」

 桂斗はぷぃっとそっぽを向く。完全に我が侭状態だ。それを聞き流しながら飛沫等は防具を取り外しに掛かった。先に防具を外し終わった飛沫が桂斗に近寄り目の前にしゃがみ込む。

「兄貴は文句が多過ぎるんだよ」
「これが普通なんだよ。お前等が変人過ぎるんだ」
「……ほおぅ。(怒)」

 その時、桂斗の顔面のすぐ横に稽古で使われていた木刀が投げ付けられた。

「「…………(汗)」」

 桂斗は身動き一つ出来ずに凍り付いてしまった。飛沫も、表情が引き攣ったまま凍り付いた。
 木刀を投げたのは、飛沫の後ろで稽古を終えて防具を外していた極夜だった。

「なっ……何すんだ極夜ぁぁぁぁぁぁっ!!?」

 桂斗が極夜に掴みかかる。表情は半分涙目になって。

「何って、桂斗が暑い暑いって言うから、涼しくしてあげたんじゃないですか」
「あっ、あんなモンが当たったら死んでしまうわー!」
「だから外してあげたじゃないですか。ちゃんと」
「アホかーーーっ!!」

 半狂乱の桂斗に対し、極夜は至ってマイペースだ。飛沫が呆れながら二人のやり取りを見ていると、

「この暑いのに、元気だな。お前達は」

 清十郎が道場に入ってきた。

「親父」
「そんなに元気が余っているんなら、少し手伝ってくれんか?」
「手伝う?」
「俺は元気じゃない……」

 桂斗だけが否定を述べる。しかし、清十郎は桂斗の言葉だけちゃっかり無視して、

「涼しいところに行くぞ」

 そう言って、清十郎は桂斗の襟首を掴んで引きずり出した。

「ちょっと待て親父っ!俺は元気じゃねぇってんだろっ!」
「親父。涼しいとこって何処だ?」
「裏の蔵だ」

 桂斗の抗議は無視されたまま、四人は家の裏手の蔵に向かった。

 

 

「確かに、此処等辺は涼しいなぁ」

 家の裏手の古びた蔵の前に、飛沫達は来ていた。

「この蔵は、確か昔鍵を無くしてしまったとかで、開かずの状態になっていたはず……」
「戦前に無くしたらしいから、ざっと五十年は開けてないだろうな」
「ちょっと待てよ。開かねぇ蔵で何するってんだよ?」

 渋々ついてきた桂斗が口を開いた。清十郎は手に持っていた物を三人に見せる。

「あ、鍵じゃん」
「さっき見つけてな。部屋を整理していたら出てきたんだ」
「ふーん。よっしゃ、じゃあ早速開けてみようぜ」
「そうだな。せっかく開けるんだ。掃除もやってしまうとするか」
「なっ何で……っ!?」

 桂斗が再び抗議を再開。

「五十年も開けていないんだぞ。中は埃も溜まっている。せっかくだから掃除してやろうという気にはならんか?」
「やっぱ反対。ホコリまみれになってまで蔵を開けてやる理由はない。だいたいこんな蒸し暑い日にやらんでも良いじゃないか」
「中には、お宝が有るかもしれんなぁ」
「お宝っ!!?」
 “親父、余計な事を……”

 桂斗は心の中で舌打ちした。“お宝“の言葉に飛沫は好奇心に顔を輝かせた。

「やっぱ開けようぜ兄貴。お宝発見だっ!」
 まるで冒険心溢れる子供か、好奇心旺盛な子犬だ。

「お、おい飛沫」
「良いですね。掘り出し物とかが見付かるかも」
「極夜まで!?」
「そうだなぁ。見つけたモノの中で、危険なモノでなければ自分の気に入ったものを一つだけ自分のモノにしてもかまわんぞ。それと飛沫、蔵の中で見付けた物の中で最も飛沫が良いと思った物を今回の誕生日のプレゼントしてやる、というのはどうだ?」
「っっぃよっしゃぁーっ!兄貴、決定だな。多数決だぜ」
「……もう、勝手にして……(涙)」

 こうして、桂斗の意向は一切無視され、蔵開け、兼宝探しが開始された。

 

 

4

「兄貴ーっ。雑巾取ってくれー」
「それくらい自分で取れ(怒)」

 掃除を開始して約三時間、一時になる頃には粗方片付け終わり、中の物の整頓否、物色が始まっていた。

「焼き物、掛け軸、日本刀、屏風、古民具……在り来たりなモノばかりですね」
「そうだな、“刀”というのはなかなか良いかもしれんが、業物という程の物はあまり無さそうだな」

 実際、業物と呼べそうな刀は数本程度だった。脇差もあったが、錆び付いてしまって抜けない物もあった。

「まぁ、下はこんなモノだろう。後は二人がやっている上の階だな」

 そうこう言っていると、桂斗が汚れた水の入ったバケツを持って降りてきた。

「ちょっくら水変えてくらぁ」
「丁度良かった。桂斗、序でに此方も頼みます」
「はぁッ?自分で行けよ」
「良いじゃないですか。二人で行くより手間が省けて」
「じゃぁお前が……」

 その時、家の門が開く音がして、玄関で誰かが声を上げた。

「すいませーん。龍巳さーん、いらっしゃいますかー?」
「あの声は、高橋か。桂斗、極夜、ちょっと行って来るぞ。ちゃんと片付けておけよ」
「はい」
「へーい」

 ふたりの返事を聞いて、清十郎は足早に蔵を出ていった。

「さ、桂斗、お願いしますよ。バケツ」
「だから、お前が行きゃ良いじゃねぇか」
「私は此処を片付けなくては行けませんから」
「俺はバケツを既に二つ持ってんだよ」
「水は其処に投げて行けば良いでしょう。さ、早く行って来て」
「お前な……。俺が兄貴だって事、蔑ろにしてんな」
「そんな事は有りませんよ。ちゃんと尊敬していますから、ほら早く」

 そんな風に二人が言い合っていると、飛沫が階段のところから顔を出した。

「兄貴。兄さん。ちょいちょい」
「ん?どうした?」
「良いから良いから」

 飛沫はただ二人を呼んだ。桂斗が怪訝な顔をして更夜を見返すと、極夜は、さぁ、という素振りをして首を傾げた。
 二人が二階に上がると、飛沫は得意そうな顔をして、壁の影に手を掛けて寄りかかっていた。

「どうした。何か見付けたのか?」
「へっへー。兄貴、こんなの見付けたぜ」

 飛沫は自慢げに言うと、寄り掛かっていた処から手を退かした。 すると、その場所から長い棒のようなものが三本倒れてきた。

「「これは……」」

 飛沫が見つけたというそれは、変わった装飾の武器だった。
 一振りは、長い柄に鞘の着いた薙刀のような刀。
 紺碧の柄に金の細工が施され、鍔の部分には梅鼠(うめねず)の飾り紐で結ばれたルビーの様な赤い玉が付いている。
 もう一振りは、茜色の拵え(こしらえ)の長刀。
 180Bは有ろうかという長さで、真ん中から両端まで、全く同じ金の細工が施され、どちらが柄なのか判らない拵えに、両端に黄緑の宝石、おそらくはペリベットと思われる明るい碧色の石が猩々緋の紐に結わえられて、両端に二つずつ付いている。。
 そして最後の一振りは、真っ白な鞘の、日本刀。
 柄も鞘も真珠のような白い色、柄頭も鍔も鞘も飾りは全て金、柄頭の飾りは雀のような鳥の形をしており、小さな輪が付いている。その輪には、鮮やかな真紅の布とルビーよりも濃い紅の玉が付いていた。
 鞘にも、天色(あまいろ)の飾り紐に結わえられ、紅くて小さな同じ色の玉が鞘と柄を繋いでいた。

「飛沫、これは一体どうしたんだ?」
「見付けたのさ。私が」

 飛沫は自慢気に胸を反らす。

「しかし、これは変わった物ですね。装飾からして、日本の物とは……倭刀でしょうか」

 極夜はそう言って、転がってるうちの一本、紺碧の薙刀を手に取った。そして徐(おもむろ)に鞘を払った。中から、刺すような冷たい輝きを放つ刃(やいば)が姿を現した。

「これは……凄い物ですよ。今まで見付けたどの品物よりも。こんな代物、見た事が無い」
「凄っげぇ〜。なぁなぁ、これってやっぱ薙刀?」
「いえ、多分違うと思います。薙刀なら、こう、刃はの部分が短くて細いはず。これは長すぎる。それに、刀身が幅広に作られています。恐らくは長巻ながまきと呼ばれる物でしょう」
「流石は武器マニア。こういう事は詳しいな。おしっ。じゃぁ次だ。この長っちいの、見てみるか」

 そう言って、桂斗は茜色の長刀を持つ。

「多分、これも刀だと思うんだが……どっちが柄だ?」

 長刀の両端を、交互に見比べてみる。左右の飾りが、全く同じ作りをしているため、何方から抜けば良いのか判らない。

「適当に何方か引き抜いてみては?」
「そうか」

 極夜の言葉に桂斗は相槌を打って一方を軽く引いてみる。意図も簡単に、するりと刀は抜けた。
 中から現れた刀身は、鞘の長さからは考えられない程短い物だった。

「!!?」
「何だこれ?鞘を間違えたのか?」
「……まさか!」

 桂斗は何を思ったか、鞘をひっくり返して、反対側の方も引き抜いてみる。すると、其方側もするりと抜け、中からは、先程の刀と、全く同じ長さの刀が現れた。

「一つの鞘に、同じ刀が二本……」
「これは、小太刀!」
「二本の、小太刀……二刀小太刀か!?」
「これまた、変わった品が出てきましたね。一振りの鞘に、二本の小太刀。それも、此方の品も長巻と同じくらい素晴らしい物です」
「そっか〜。じゃぁ、最後のこの一本にも期待出来そうだな」
「そうだな。どれ……」
「あ〜っ!最後のは私にやらせてくれよ」
「あ、あぁ。」
「危ないから止めて下さい」

 桂斗が飛沫に白い刀を渡そうとした時、これを極夜が止めた。

「えぇ〜っ!?兄貴達ばっか狡ぃじゃんか〜。私も刀ぬいてみたいよ〜」
「怪我でもされたら堪りません」
「そんな怪我だなんて、私居合道七段だよ」
「でも駄目です」
「そんな〜」
「おぉ〜い。抜いても良いですか〜?(汗)」

 桂斗が二人の言い争いを中断させる。そうでもしないと多分エンドレスで終わらなそうだ。

「あ〜〜!駄目駄目っ!!」
「どうぞ、早くして下さい」

 極夜に押さえられて、飛沫は刀を桂斗から奪えない。桂斗は呆れながらも、最後の刀、白い鞘の刀の柄に手を掛けて引いた。

「……っあれ?」
「桂斗?」

 ところが、白い鞘の刀はぴくりとも動かない。

「……っ。う〜っ。む〜っ。くぅ〜っっ……っはぁ!抜けねぇぞ?」
「ちょっと、貸して下さい?」

 極夜も、桂斗から刀を受け取って引いてみる。しかし、やはり刀はぴくりとも動かず、カチャリと言う鍔鳴り一つ立てない。

「抜けませんね。竹光(たけみつ)でしょうか?」
「「えぇ〜〜〜!!?」」

 飛沫と桂斗の不満の声が同時に上がる。

「兄さん達のばっかり本物で私のだけ竹光〜!?」
「おい、何時からこの白いの、お前のになったんだよ」
「だって父さん、私が一番気に入った奴、貰って良いって言ってたじゃんか〜。私これが気に入ったからこれを貰おうと思ってたのに〜」
「……あそ。しっかし、派手な飾りだから、一体どんな刀かと思えば、ただの竹光かよ〜」

 桂斗は、ガッカリした様子で飛沫にその白い刀を渡す。今度は、極夜も止めようとはしない。
 飛沫は少し不満そうに、それを受け取る。偽物の刀なら安全だから、という兄達の態度に、少し腹が立った。そして、渡された白い刀に目を落としてふと考えた。

「最後の最後で期待外れだったな。飛沫、一応それも下に持って来いよ」

 そう言うと、桂斗と極夜は下に降りようと、くるりと向きを変えて、階段の方に歩き出した。

 “本当に、竹光なのかな。”

カチャッ

「ぅわゎっ!!?」
「ん?どうかしたのか?」
「なっ、何でもない。手が滑っただけ……」

 桂斗が足を止めて此方を向いたために、飛沫は慌てて応えたが、二人は気に留めず、ふぅん。と、応えただけでまた踵を返した。
 飛沫は、そんな兄達を見て、ふぅ。と、小さく息を吐いて、改めて腕の中の刀を見た。

 “間違いない。これは……欲しいな、これ。”

 思っても、口には出さず、吹雪は兄達を追おうとした。その時。

 “……竜(りん)。”

「エ?」

 突然、飛沫は誰かに呼ばれた様な気がして後ろを振り返った。それに兄達が気が付いて、階段を降りようとしていた足を止めて飛沫を見る。
 飛沫の視線に入ってきたのは、ただの小さな窓。開けられてもいない小さな窓が、ポツンとあるだけだ。
 さっきの声は何だろう。と考えたが、何と呼ばれたのかも、直すぐさま曖昧になって消えていってしまい全く思い出せない。

「飛沫?」

 極夜が呼んでも、飛沫は振り返ろうとしない。何かに引き付けられるように窓の方へ寄り、その閉じられた枠の隙間から微かに外の光の漏れる窓に手を掛け、開いた。

「「……っ」」

 薄暗かった蔵の中が急に明るくなり、三人共、一瞬眩しさに眼が眩む。
 窓の向こうにあるのは、青く、雲一つ無い真夏の空と、余り見慣れない、高みから見下ろす街の風景だった。

「飛沫?どうしたんです。何かあるんですか?」

 飛沫の様子が少しおかしい事が気になって、桂斗も極夜も飛沫の側まで戻ってきた。しかし飛沫はそれには答えず、何気なく眼下に広がる街を見渡し、ふっ、と視線を下げた。
 其処は蔵の裏で、蔵と塀の間の細い隙間になっている所だ。

「……兄さん。あんな処に、扉が……」
「「扉?」」

 疑問符を頭に浮かべる二人を振り向いて、飛沫は窓の下を指さし、彼処。と、答える。二人はその指し示されている物を見るために、窓から頭を出した。
 其処には、塀の隅に蔵の壁と塀の間に挟まれるようにして、細くて小さな扉があった。

「扉、ですね」
「扉だな」
「何だろう。あの扉」
「「さぁ……」」
「行ってみようぜ」

 そう言うなり、飛沫は白い刀を持ったまま、そそくさと降りていった。

 

 

「変なの」

 飛沫達は、先程の武器を蔵の一階に置いて、扉の前に来ていた。
 扉は壁の隅に付いていて、その大きさは、兄二人の身長より少し高いくらい。幅は人一人がやっと通れる程度だ。鉄で出来ているようで、細い幅の割に重そうな外観をしている。
 位置的に茂みの陰に隠れる位置に在るため、上から見下ろさない限り気付かないだろう。

「何の扉だ?これは」
「さぁ」
「この先は、道路のはずじゃなかったか?」
「そうですよ。さっき上から見た時も、この反対側は道だったでしょう」
「そうだよな。張りぼてか?」
「さぁ、開けてみますか?」
「そうしよう」
「よし、開くぞ」

 そう言って桂斗は扉を押してみた。重々しい外観とは違い、扉は意図も簡単に開いた。

「オイオイ……マジ何なんだよ?」
「どうなっているのでしょう?」
「何の通路だ?これ」
「何処かに通じているんでしょうか?」

 桂斗に比べて、極夜と飛沫は至って落ち着いていた。何でそんなに冷静になれるのか。
 其処にあったのは細く黒々とした隧道(トンネル)だった。暗黒のなかに沈む一本の道に、まるで飛沫等を誘う様なひんやりとした風が吹き込んでいる。

「どうする?」

 飛沫の言葉で三人とも黙り込んで考え込んでしまう。

「なぁ、入ってみようぜ?」
「えぇ?んー、面白そうだな」
「桂斗」

 飛沫は、誘われる様な感覚が押さえられずに桂斗に同意を求める。
 桂斗も同じモノを感じたのか、少しばかり考えてから了承してくれた。しかし極夜だけは、余り乗り切れないと言った様子で、桂斗を諫める。

「……良いじゃんか。大丈夫だって」
「兄さん、入ってみようぜ」

 飛沫の好奇心旺盛な薄い色の瞳が極夜に向けられる。こうなっては極夜に反論する力は残されていない。極夜は渋々承諾する事にした。

「……判りました。仕方がないですね」
「よっしゃぁ。サンキュー兄さん!あ、そうだ。ちょっと 待ってて」

 飛沫は極夜に抱き着くとすぐに離れて倉庫の方に走っていった。
 極夜がやれやれ、という顔をしていると、桂斗が楽しそうに言った。

「お前も飛沫にだけは甘いよな〜」
「五月蠅いですね。貴方には言われたくないです。貴方だって、十分飛沫に甘いんですから」

 二人がこんな遣り取りをしている間に、飛沫は懐中電灯を見付けて、ついでに蔵の中に置きっぱなしにしていたリュックを持って戻って来てた。

「お前、そんなの持って行ってどうするつもりだ?」
「良いから良いから。冒険に準備は大切だろ。気にすんなって」
「「?」」

 気にしつつも、桂斗は飛沫から懐中電灯を受け取ってスイッチを入れる。

「では出発します。」
「了解(ラジャ〜)」
「O,K.」

 こうして、飛沫達は黒い通路の中に入っていった。 その時、後ろから小さな何かが近付いて来ている事に、三人は全く気が付いていなかった。

 

 

 丁度その頃。蔵に戻ってきた清十郎は、飛沫達がいなくなってきている事に気が付いた。会社の部下を迎えてから、十分くらいの時間しか経っていないのに、三人の姿は何処にも無かった。

「彼奴等、何処へ行ったんだ?」

 出かけた様子は無い。それが、尚のこと気に懸かる。
 片付けろと言った蔵はそのまま。さっき桂斗が持っていたバケツも、未だ水が変えられていないまま、入り口近くに置かれている。ただ、飛沫が持っていたリュックだけが無くなっていた。

「三人共胴着を着ていたから、外出するということは無いだろうし、部屋に戻った様子もなかったがなぁ」
「龍巳さん。どうかしたんですか?」
「何でもない。しかし彼奴等、本当に何処に行ったんだ。これから出張に行くことに決まってしまったというのに。すぐに行かねばならんから、ちょっと、厄介なんだがなぁ。まぁ、金さえ置いておけば彼奴等のことだ。勝手に自炊するなり何なりするだろう。さてと、荷造りせにゃなぁ」

 今回は長くなりそうだ。と呟いて、清十郎は蔵を閉めて家に戻っていた。
後に蔵の中に残されていた物は、古錆びた骨董品。蔵の後ろには苔が生えた壁があるだけだった。

 

 

5

 通路に入って、約十分。

「それにしても長いな〜」
「長いだけではないですね」
「「え?」」

 極夜の言葉で、桂斗と飛沫はその場に足を止めた。

「どういう事?」
「良く見てみなさい、飛沫。」

 極夜に言われて飛沫と桂斗は穴の中を見回してみる。そして、ある事に気が付いた。

「兄さん、穴が……広くなってる。」
「どういう事だ?さっきまでは人一人が通れるだけの幅しか無かったはずなのに……」

 入った時には人一人しか通れない様な細い隧道だったのに、今は三人並んでも有り余る程の広さになっている。さらに歩いて行くうちに、隧道の中は肌寒くなってきたので、飛沫は襟を掻き合わせた。汗を掻いた後の湿った胴着では寒さが嫌に応える。
 その時、風が飛沫の髪を擽る様に吹いた。それに気が付いて、飛沫が振り返った。

「?飛沫」

 極夜がそれに気付いて飛沫に声を掛けた。

「……風が吹いてる」
「風?……確かに、風が吹いている」

 飛沫がそう言っている間にも、三人の間を尚一層冷たい風が駆け抜けていく。入って来た入り口を見れば、点の様になって外の光は此処までは全く届かない。

「さっき入り口を開けたまま来たから、其処から吹き込んで来たんじゃないのか?って、あぁっ!!?」

 急に三人のいる場所が暗やみに包まれた。桂斗が持っていた懐中電灯の電池が切れてしまった。

「あぁっ、くそっ、電池が切れちまった」

 懐中電灯の明かりがすぅっと消えていって、急に周りが真っ暗になってしまったせいで三人の顔も全く見えなくなってしまった。
 三人がその場でずっと騒いでいると、また風が三人の間を擦り抜けていった。その風はさっき吹いた風とは、少し違う物だった。風には若葉の匂いが混じっていた。

「……若葉の匂いだ」

 若葉の匂いがした途端、飛沫達は急に、何かくらくらと眩暈の様な感覚に襲われた。緑色の靄が視界に広がり、平衡感覚が無くなる。三人が若葉の幻惑の様な匂いに気を取られた時だった。

「何故そんな所で立っている」

 急に三人のすぐ側に三人とは別の声がした。いきなり声を掛けられて正気に戻った三人は、驚いて辺りを見回したが暗闇のせいで声の主が何処にいるのか見付ける事が出来ない。
 警戒しながら三人が辺りの気配を伺うと、またその声が話しかけてきた。 どうやらその声の主は飛沫のすぐ隣にいる様だった。
 声は優しい響きを伴って、さらに飛沫達に語りかけてくる。

「何故歩かない。棒の様に立って、楽しいか?歩きながら話そう。“タールートン”の出口はすぐ其処だ」

 “……誰?”

 声の主はどうやら男の様だ。男の言うとおり、遠くに小さな明かりが見えた。飛沫達は取り敢えず、男の言うとおり、その光に向かって歩き始めた。

「タールートン?」
「この通路の様に、長い門の名だ。此処は私のお気に入りなんだ」
「こんな暗い隧道が?」

 それを聞いて相手は軽く笑った様だった。

「まぁ、潜る者は大概、気味悪がったりするものだが、私の様な人間にとっては返って居心地が良い。一人になりたい時、物事をじっくり考えたりしたい時、此処は本当に役に立つ」

 飛沫の隣を歩いているらしいその男からは、まるで雨の後の森の様な匂いがした。

 “……良い匂い”

「たまにはお前様方の様な人間にも、出逢える様だしな」

 ふ、と吹雪は後を振り返ったが其処にさっきまで見えていた入り口の光を見付ける事は出来なかった。

 暫く男と一緒に歩いた。

 話しながら歩いているうちに、暗い通路は終わりを迎え、目の前が開けると同時に急に光に包まれた。飛沫達は、その光の眩しさに眼が眩んだ。
 それが直って飛沫が見た景色は驚くべき世界だった。

「こ……此処は」

 其処は飛沫達の住んでいた街ではなかった。
 其処には、横に長い巨大な建物が有った。綺麗に切り出して組み上げられた白い石が地面に敷き詰められている。建物の屋根は薄い翡翠色の瓦が敷かれていて黒い柱と壁がその屋根を支えている。周りを見渡せば同じ様な建物が幾つもあった。
 視線を巡らして行くと、飛沫のすぐ隣に見覚えのない男が立っていた。
 飛沫達が呆気に捕らわれていると、その男は此方を向いて飛沫達に向かって笑いかけた。

「やぁ、いらっしゃい。こんな所へ一体何をしに参られたのかな?」
「え?……いや、何かしに来たって訳じゃぁ……」

 極夜も桂斗も、驚いて何も云えないまま立ち尽くしている。
 男は、飛沫と同じくらいの背丈で、昔の中国人の様な衣装に身を包んでいた。顔立ちはとても優しそうで口元と顎にだけ髭を蓄えていたため、年の頃は二十代後半から三十代程に見える。ただ、頭巾の様な布を被っていたため判り難かったがその男の髪は奇妙な事に緑色の様に見えた。そして、飛沫達を見据える優しげな瞳も淡い鶯色をしていた。

「不思議な格好をした者達だ。一体、どうやって迷い込んでしまったのかは判らぬが、余り此処に長居しない方が良い。城の者達に見付かってしまっては厄介な事になるからな」
「厄介な、事?」
「貴方は……一体……!!?」

 そんな話をしていた時、遠くに人の影が近付いて来た。

「人が来た。早くこの場を離れなさい」

 男はやんわりとそう言って飛沫達に白い壁の方を指した。其処には小さな門が見え、その先には真っ青な空が覗いていた。

「あの子門を出て、少し降りると広い階段の道に繋がっている。其処を広い階段の方にずっと降りて行けば、先は雲海へと続く波止場になっている。其処に“チューユィ”が一頭繋がれているから、それに乗って此処から逃げなさい。」
「チューユィ?」
「黒い虎だ。良く馴らしてあるから言う事は来てくれるだろう。それに乗って雲海に飛び込めば下界へ下りられる。途中で兵士達に出会すかもしれないが構わず駈け降りろ。」
「言ってる事が良く判らねぇよ」
「説明してる暇はない。さぁ、早く行きなさい」

 そう言って男は優しく吹雪の背を押した。
 何が何だか判らないまま吹雪達は男の言うままに、その場から走り出した。

「気を付けてな」

 その時、自分達を呼び止めようとする声がして、後から何人かの人間が追いかけて来たが、飛沫等はそれを無視して門の方へ急いだ。男の方を振り返ると、追って来ようとした者達の前をするりと通り過ぎて、その者達が男に向かって慌てて頭を下げるのが見えた。
 白い門を潜って、飛沫は思わず足を止めた。
 すぐに道が横に延びていてその先は切り立った崖になっていた。下を見れば、切り立った崖の所々に小さく建物が薄っすらと霞の中に見えている。其処は、途轍も無く高い崖の上だったのだ。
 後を振り返れば、城の衛兵の様な者達が追いかけて来る。考えてる時間はなさそうだ。飛沫はすぐ様、横に逸れている道を駆け出した。
 男が云った通りに階段を駆け下りた。途中、行く手を塞ごうとした者達は構わず突き飛ばし、薙ぎ倒して、目的の波止場まで一気に走り抜けた。
 階段が終わってその先が海になっていた。

「海だ!」
「アレだっ!あそこに何か繋がれてる」

 海に迫り出す様な波止場に、大きな躯の虎の様な生き物が繋がれたまま踞って眠っている。
 虎に駆け寄ってみて、思わず其処でたじろいでしまう。その虎の様な生き物は普通の虎の二倍近い大きさをしていた。

「……こっ、これに乗るのか?」
「迷ってる暇は無さそうですよ。」

 桂斗は心配そうに言ってみたが、今更戻る訳にも行かず、寝ている虎が繋がれている柱の縄を解いた。それに気が付いたのか、虎は急に目を開き、その巨体を持ち上げた。飛沫達は驚いたが、その虎が寝ていた所にふいと目を向けてますます驚いた。

「!兄さんっ!これ!!」
「え?……なっ!何でこれがこんな所に」

 其処にあったのは、さっき飛沫達が家の蔵で見付けた三本の武器だった。

「どうして……?」

 三人とも呆気にとられてしまったが、すぐに後から追っ手の声が聞こえた。

「仕方がない。行きましょう」
「ぶっ、武器はどうするんだよ!?」
「取り敢えず持っていきましょう」

 そう言うと極夜は素速く虎の背中に乗せられた鞍に跨って飛沫を引っ張り上げた。

「桂斗、早くっ!」

 言われて、桂斗も急いで武器を持って極夜の後に乗った。そして極夜が手綱を引くと虎はふわりと躯を浮かせ、海の上へ飛び上がった。

 まるで宙を泳ぐ様にして浮かび上がったかと思うと、がくんと下がり海の中へ飛び込んだ。驚いて息を止める暇もなく海面に水飛沫が当たる感触がした。海面に叩き付けられるのと、ほぼ同時に目の前が真っ白になり眼を閉じた。
 光の中で、飛沫はまるで雷にでも撃たれたかのような衝撃を感じた。躰中が痺れて、額が熱くなった。閉じた瞼の下まで、白銀の光が差し込んでくる。

 “……月竜(ゆえろん)

 蔵で呼ばれた声と、全く同じ声に再び呼ばれたような気がして飛沫が目を開くと、其処は明るい灰色の空間だった。

「こっこれは……!!?」

 海に飛び込んだはずなのに水の感触は何処にもなかった。その代わり、白い何かの中を落下していた。

「……!これは雲だ!!」

 飛沫をしっかりと掴んだ更夜が答えた。

「海に飛び込んで何で雲があるんだーっ!!?」

 桂斗の絶叫と同時に雲を抜け、急に視界が開けた。

「「「…………!」」」

 視界に飛び込んできた物に、飛沫達は愕然とした。
 上空には、天高く青い空、流れる白い雲、明るい真夏の太陽。地上は、高く連なった山々、青い霞に消える地平線、広大な森、日の光を受けて輝く田畑と小さな集落、そして高い壁に囲まれた巨大な街。

「こっ、此処は何処だーっ!!?」

 

 

6

 太陽が真上に昇り、傾き始めた頃、北の森の上空に、二十近くの黒い点が現れた。
 黒い影は、昼の陽光を浴びるその背中に跨った者達によって、時折銀色に輝きながら、一路、南へ向かって疾走していた。
 その者達の目の前に、白い壁に、鉄で出来た大きな黒い門が差し迫ってきた。
 獣に跨った者達の内、白い馬のような獣を駆る者が、隣で大きな犬のような獣を駆る者と談笑していた。

「もうじき、“チョントゥー”に着きますね」

 犬型の獣に乗った者が、丁寧な口調で言う。

「あぁ。どうやらこのまま、何事も起こらずに着く事が出来そうだな。随分時間が掛かってしまったが、これくらいなら大した事にはならないだろう」

 馬型の獣を駆る者は、落ち着いた口調で話す。清涼感のあるその声に、“はい”と、元気な返事が返ってきた。その時だった。
 男の耳に、誰かの叫び声のような音が微かに聞こえた。それは隣の者にも、周りにいた者達にも聞こえたらしく、皆、獣を止めさせた。
 上空に静止していると声はどんどん近くなり、一人が上を見上げて、“将軍っ!上にっ!”と声を上げた。連られて上を見上げた男は余りの出来事に驚愕した。
 男達のすぐ上を、黒い大きな影が跨ぎ越していった。

「将軍っ!あれはっ!」
「あぁ、王宮のチューユィだっ!盗まれたのか!?」

 獣はそのまま森の方へ飛び去ってしまった。

「追うぞっ!あの者達を逃がすなっ!何としても捕まえるのだっ!!!」

 間髪入れずに男が叫び、“はっ!”と周りの者達が呼応して、男に続いて飛び去った獣の後を追った。

 

 

 飛沫は、必死で獣の背中にしがみ着いていた。
 虎はとてつもない早さで急降下して森の上にまで差し掛かっていた。その余りの早さに飛沫達は虎を操るどころか振り落とされないようしがみ着くのがやっとだった。

「兄貴、これからどうしよう?」
「取り敢えず、こいつを地面に降ろそう」

 三人それぞれにあの武器を持ったまま、話しをしていて前に注意が逸れていた時だった。急に目の前に巨大な木が現れた。

「兄さんっ!危ないっ!!」

 極夜は驚いて避けようとしたが、それより早く虎はその木に突っ込んだ。枝の間を抜けた瞬間、急に極夜が手綱を放してしまった。頭に太い枝が当たって、極夜は気絶してしまったのだ。

「兄さんっ!」
「極夜っ!」

 慌てて桂斗が助けようとしたが、バランスを失って極夜もろとも虎から振り落とされてしまった。

「兄さーーーんっっ!!!」

 木に突っ込んで驚いた虎は桂斗と極夜を振り落としたまま、飛沫だけを乗せて森の中に突っ込みがむしゃらに飛び回った。
 飛沫はそのまま必死でしがみ着いていたが、終いには躰に強い衝撃を受けて、飛沫の意識はそこで途絶えた。

−続く−


お……終わった。やっと終わりました第一章。長かったなー……。
しかし無双のキャラが一人も出てこない一章になってしまった。 いや、
出ては来てるんですけどね。名前明かしてないだけで。ま、次回には明かしますから。

こんな無双書く様な人はいないだろうなー。
オリキャラ盛り沢山だ。今考えてるだけでも六、七人いるからな。
いきなり人間の世界じゃなくなっておりますな。完全に。
そう言えば、この大路通(たると)、知ってる人居りますかしら?
本来の字とは違ってるんですけどね。本当の意味明かすと拙いから。
すっごい昔に有る会社の記念作として作られたアニメーションに 出てくる門の名前から
取らせて貰いました。
これの仕事してた人見ていたら御免なさい。大好きなんですよ。この作品。
怪しい事には使ったりしないから許してください。
こんなんで良いのかなー?
何か生い先不安ですが……。
少しでも楽しんで頂ければ月龍も天昇出来るかな。(一生無理だ)

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