|
||
|
1 漆黒の闇に浮かんだ月。 “……綺麗。” 彼女の心に、そんな言葉が浮かぶ。 “…………” 耳の奥で誰かがささやいた様な気がした。その声は非道く遠くからで何を云っているのか全く判らなかった。 「なぁ……どうかしたのか?」 問いかけてみても全く反応がない。 「な……何だよ。……これ」 恐ろしい感覚が背筋から這い上がってくる。その液体は、紛れもなく…………血。 「……っ!」 そう確信し、男から後退る。
飛沫(しぶき)は重い瞼を上げる。 「またか……」 今日もまたあの夢だった。此処一ヶ月ずっと続いている。そして、もう何年も昔からずっと見続けている夢。 “触れたら、私はどうなるんだろう” そう考えて飛沫は少し自嘲気味に笑った。 “馬鹿馬鹿しい。あれはただの夢だ” そう心に言い聞かせてみても、頭の中の靄は晴れそうになかった。良い方に転ぶのか、悪い方に転ぶのか、微かな期待と不安が心の中に痼りのように残った。そうして暫くの間、飛沫は窓から見える朝焼けの庭をぼんやりと眺めていた。
家族が起きてくる時間が近付いて、飛沫はベッドを抜け出した。ベットのすぐ横に掛かったお気に入りのハンモックの中に入れられている、黒い道着を引っ張り出して羽織り、袴を履く。部屋から廊下に出ると、丁度台所から兄の極夜(きょくや)が出て来た。 「おはよ〜。兄さん」 黒くて綺麗な髪を膝裏の辺りにまで伸ばした極夜は、振り向くと軽く笑って挨拶を返す。 「兄さん、もう朝飯喰ったのか?」 飛沫は髪を一房摘んでみる。 「みんなを起こした後で、手伝ってあげますから」 そう言って飛沫は洗面所の方に姿を消した。 「飛沫」 極夜は手早く飛沫の長い髪を編んでいく。あっと云う間に飛沫の長い髪は一纏めに御団子にされた。 「……はい、これで良いですか?」 そう言うと、真白い髪を大きくひとつにまとめた飛沫と極夜は朝食を取るために台所の方へ向かった。
朝食を親子四人で取るのは久し振りだった。此処最近、父清十郎は仕事が忙しく、なかなか家に帰ってこなかった。 「今日は、みずほんとこで練習試合だから」 飛沫は楽しそうに喋りながら煮付けを頬張る。それに父、清十郎が相づちを打つと、 「此処一ヶ月、皇(すめらぎ)道場には行ってなかったから随分久し振りですね」 極夜もさも楽しそうに笑いながら食事を続ける。今日は飛沫の幼馴染みの皇みずほの家に出稽古に行くことになっていた。 「今回は兄貴も絶対参加だからな」 飛沫が極夜の隣で悠々と白飯を掻き込んでる赤い髪の兄に話を振る。今まで我関せずといった態度をとっていた兄、桂斗は全くもって予想していなかったのか、危うく掻き込んだ米を吹き出しそうになった。 「……い、いや。今日は……その」 それを聞いた桂斗は、背に何か冷たい物が走った様な気がした。恐らく、反論したらタダでは済まされない。 「そ……それはまぁ、確かに……」 そして、朝食を早々に切り上げて、飛沫達は皇会館へ向かった。
2 皇会館に着くと、道場では既に大勢の門下生が、打ち込み等の稽古を始めていた。皇道場の門下生と、龍巳道場の門下生が一同に其処に集まっていたのだ。其処に飛沫等が入っていくと全員が挨拶をしてくる。 「お〜っす」 それぞれ三者三様の挨拶を返す。其処へ、白い胴着に身を包んだ小柄な少女が近付いて来る。 「おはよ〜、飛沫ちゃん。久し振り〜」 彼女が飛沫の幼馴染みの皇みずほだ。 「お早うみずほ、でも久し振りではないだろ。一昨日の終業式の時に会ったじゃんか。その前だって、学校では毎日顔会わせてただろ」 身長170Bある飛沫よりも8B背が低く、パーマの掛かった茶色の髪の毛を頭頂でお団子にまとめた姿は何処か愛くるしい。ふんわりとした優しそうな顔で体型もよろしい。きちんと出るところが出ていて、締まるところは締まっている。同じ体育会系のはずなのに飛沫のスレンダーな体型とは偉い違いだ。もっとも、その様なことは二人ともさっぱり気にしてはいないのだが。 「何やってんだ飛沫。さっさと準備しろよ」 桂斗に言われて、飛沫とみずほは稽古の準備に取り掛かった。 「ねぇねぇ、飛沫ちゃん。この後さぁ、一緒に買い物行こうよ〜。W.B.Rsの新作モデル出たんだってさぁ」 稽古中というのに、みずほはぽややんとした雰囲気で飛沫に楽しそうにシルバーアクセサリーの話を持ち掛けてくる。 「あぁ、そういや今日だったけ。新作発売」 みずほがあまりにも楽しそうに話すので、飛沫は少し圧倒されてしまう。彼女はいつもこの様な調子だ。 「ん〜私はセイグリットシリーズかなー。ホワイト.ファングやムーン.ウルフでも良いけど」 極夜にいびられて機嫌が酷く斜めになった桂斗に怒鳴り付けられ、渋々二人は会話を中断して稽古を再開した。 「じゃぁ、始めようか」 そう言って飛沫は、相手に向き直った。相手はきちんと防具で固めているが飛沫は何も付けずに木刀を構える。 「宜しくお願いします!」 相手の元気の良い挨拶に飛沫もきっぷうの良い返事を返す。そして、極夜の“始めっ!”という開始の合図が館内に木霊した。
出稽古は午後の二時には終了した。朝の九時からやっていたのだが、飛沫もみずほもまるで疲れなど感じさせない様子で、楽しそうに目的の店の中で買い物に興じていた。 「飛沫ちゃ〜ん有ったよ〜」 どうやら目的の品も見つかったようだ。飛沫達が見ていたのは黒い革のベルトにシールドの中に獅子と狼が掘られた首輪タイプのチョーカーだった。 「……みずほ、これは……さすがにどうかと……」 みずほは楽しそうに飛沫にチョーカーを付けてみる。 「きゃー、やっぱり似合う〜」 楽しそうにはしゃいでいるみずほとは裏腹に飛沫の顔は引き攣っている。しかし、飛沫が思う程、チョーカーのデザインは悪い物ではい。 「そうだ〜、飛沫ちゃん、明日誕生日だよね〜。これ、プレゼントしてあげる〜」 飛沫が止めるのも聞かず、みずほは楽しそうにカウンターにチョーカーを持っていって会計を済ませてしまった。そして、チョーカーの入った箱を銀色の包装紙に包んで貰って赤いリボンまで付けて飛沫の元に持って来た。 「ハイ、お誕生日おめでと」 みずほの強引さに押される様にして、誕生プレゼントを貰った。これでは断るにも断れない。飛沫は、呆れたように笑った。 「……ありがと」
3 …………渾沌の闇の中に、金色の月が浮かんでいる。 “……あと少し” あと少しで角に手が届く。角に触れたら、そのあとはどうなるのかは判らないが、今は角に触れる事しか、頭に無い。とにかく、あの角に触れてみたかった。 “あと少しで、手が届く。あと、少しなんだ” 角の先に手が届く。一気に動作が速まって、飛沫はその角を掴んだ。 “掴んだっ!” その瞬間、体中を電流が走った様な衝撃が襲った。鼓動の音が耳元で聞こえる様な気がして獣の躰が強い銀色の光を放って輝きだした。飛沫は光の眩しさに目を開けていられなくなって瞼をきつく結んだ。
顔の辺りが、酷く熱かった。 “……ぅあ〜、カーテン閉めるの忘れた” 朝日は容赦なく飛沫を照らす。取り敢えずカーテンを閉め直してベッドから這い出た。 “今日の夢、何時もの奴と違ってた。” ついに角を掴んだ。その途端に獣が輝きだし、其処で夢は終わった。あの惨劇の場面は見なかった。 “一体どういう変化なんだ……” 体を起こし、寝間着を脱ぐ。そして、今日もまたハンモックの中から胴着を引っ張り出して羽織る。普段着ている服はリュックの中に押し込み、i-Podを懐に入れた。
今日は物凄く暑かった。 「面っ!」 飛沫達は、朝食を終えてから家の道場で剣の稽古に励んでいた。 「兄貴っ!さっきっから気がダレる様な声出すんじゃねぇっ!益々暑いじゃねぇかっ!!!」 桂斗は苛立たしく膨れっ面で、道場の端に敷かれた畳の上で胡座を掻いて座っている。 「だいたい、熱中症になるってんで、わざわざ親父が稽古休みにしたってのに、何でお前等そんなにがんばってんだよ」 飛沫と極夜のさらっとした返答に桂斗は切れ気味になって怒鳴る。 「良いじゃないですか桂斗。どうせ暇なんでしょ?それに道場の中は涼しいでしょう?」 桂斗はぷぃっとそっぽを向く。完全に我が侭状態だ。それを聞き流しながら飛沫等は防具を取り外しに掛かった。先に防具を外し終わった飛沫が桂斗に近寄り目の前にしゃがみ込む。 「兄貴は文句が多過ぎるんだよ」 その時、桂斗の顔面のすぐ横に稽古で使われていた木刀が投げ付けられた。 「「…………(汗)」」 桂斗は身動き一つ出来ずに凍り付いてしまった。飛沫も、表情が引き攣ったまま凍り付いた。 「なっ……何すんだ極夜ぁぁぁぁぁぁっ!!?」 桂斗が極夜に掴みかかる。表情は半分涙目になって。 「何って、桂斗が暑い暑いって言うから、涼しくしてあげたんじゃないですか」 半狂乱の桂斗に対し、極夜は至ってマイペースだ。飛沫が呆れながら二人のやり取りを見ていると、 「この暑いのに、元気だな。お前達は」 清十郎が道場に入ってきた。 「親父」 桂斗だけが否定を述べる。しかし、清十郎は桂斗の言葉だけちゃっかり無視して、 「涼しいところに行くぞ」 そう言って、清十郎は桂斗の襟首を掴んで引きずり出した。 「ちょっと待て親父っ!俺は元気じゃねぇってんだろっ!」 桂斗の抗議は無視されたまま、四人は家の裏手の蔵に向かった。
「確かに、此処等辺は涼しいなぁ」 家の裏手の古びた蔵の前に、飛沫達は来ていた。 「この蔵は、確か昔鍵を無くしてしまったとかで、開かずの状態になっていたはず……」 渋々ついてきた桂斗が口を開いた。清十郎は手に持っていた物を三人に見せる。 「あ、鍵じゃん」 桂斗が再び抗議を再開。 「五十年も開けていないんだぞ。中は埃も溜まっている。せっかくだから掃除してやろうという気にはならんか?」 桂斗は心の中で舌打ちした。“お宝“の言葉に飛沫は好奇心に顔を輝かせた。 「やっぱ開けようぜ兄貴。お宝発見だっ!」 「お、おい飛沫」 こうして、桂斗の意向は一切無視され、蔵開け、兼宝探しが開始された。
4 「兄貴ーっ。雑巾取ってくれー」 掃除を開始して約三時間、一時になる頃には粗方片付け終わり、中の物の整頓否、物色が始まっていた。 「焼き物、掛け軸、日本刀、屏風、古民具……在り来たりなモノばかりですね」 実際、業物と呼べそうな刀は数本程度だった。脇差もあったが、錆び付いてしまって抜けない物もあった。 「まぁ、下はこんなモノだろう。後は二人がやっている上の階だな」 そうこう言っていると、桂斗が汚れた水の入ったバケツを持って降りてきた。 「ちょっくら水変えてくらぁ」 その時、家の門が開く音がして、玄関で誰かが声を上げた。 「すいませーん。龍巳さーん、いらっしゃいますかー?」 ふたりの返事を聞いて、清十郎は足早に蔵を出ていった。 「さ、桂斗、お願いしますよ。バケツ」 そんな風に二人が言い合っていると、飛沫が階段のところから顔を出した。 「兄貴。兄さん。ちょいちょい」 飛沫はただ二人を呼んだ。桂斗が怪訝な顔をして更夜を見返すと、極夜は、さぁ、という素振りをして首を傾げた。 「どうした。何か見付けたのか?」 飛沫は自慢げに言うと、寄り掛かっていた処から手を退かした。 すると、その場所から長い棒のようなものが三本倒れてきた。 「「これは……」」 飛沫が見つけたというそれは、変わった装飾の武器だった。 「飛沫、これは一体どうしたんだ?」 飛沫は自慢気に胸を反らす。 「しかし、これは変わった物ですね。装飾からして、日本の物とは……倭刀でしょうか」 極夜はそう言って、転がってるうちの一本、紺碧の薙刀を手に取った。そして徐(おもむろ)に鞘を払った。中から、刺すような冷たい輝きを放つ刃(やいば)が姿を現した。 「これは……凄い物ですよ。今まで見付けたどの品物よりも。こんな代物、見た事が無い」 そう言って、桂斗は茜色の長刀を持つ。 「多分、これも刀だと思うんだが……どっちが柄だ?」 長刀の両端を、交互に見比べてみる。左右の飾りが、全く同じ作りをしているため、何方から抜けば良いのか判らない。 「適当に何方か引き抜いてみては?」 極夜の言葉に桂斗は相槌を打って一方を軽く引いてみる。意図も簡単に、するりと刀は抜けた。 「!!?」 桂斗は何を思ったか、鞘をひっくり返して、反対側の方も引き抜いてみる。すると、其方側もするりと抜け、中からは、先程の刀と、全く同じ長さの刀が現れた。 「一つの鞘に、同じ刀が二本……」 桂斗が飛沫に白い刀を渡そうとした時、これを極夜が止めた。 「えぇ〜っ!?兄貴達ばっか狡ぃじゃんか〜。私も刀ぬいてみたいよ〜」 桂斗が二人の言い争いを中断させる。そうでもしないと多分エンドレスで終わらなそうだ。 「あ〜〜!駄目駄目っ!!」 極夜に押さえられて、飛沫は刀を桂斗から奪えない。桂斗は呆れながらも、最後の刀、白い鞘の刀の柄に手を掛けて引いた。 「……っあれ?」 ところが、白い鞘の刀はぴくりとも動かない。 「……っ。う〜っ。む〜っ。くぅ〜っっ……っはぁ!抜けねぇぞ?」 極夜も、桂斗から刀を受け取って引いてみる。しかし、やはり刀はぴくりとも動かず、カチャリと言う鍔鳴り一つ立てない。 「抜けませんね。竹光(たけみつ)でしょうか?」 飛沫と桂斗の不満の声が同時に上がる。 「兄さん達のばっかり本物で私のだけ竹光〜!?」 桂斗は、ガッカリした様子で飛沫にその白い刀を渡す。今度は、極夜も止めようとはしない。 「最後の最後で期待外れだったな。飛沫、一応それも下に持って来いよ」 そう言うと、桂斗と極夜は下に降りようと、くるりと向きを変えて、階段の方に歩き出した。 “本当に、竹光なのかな。” カチャッ 「ぅわゎっ!!?」 桂斗が足を止めて此方を向いたために、飛沫は慌てて応えたが、二人は気に留めず、ふぅん。と、応えただけでまた踵を返した。 “間違いない。これは……欲しいな、これ。” 思っても、口には出さず、吹雪は兄達を追おうとした。その時。 “……竜(りん)。” 「エ?」 突然、飛沫は誰かに呼ばれた様な気がして後ろを振り返った。それに兄達が気が付いて、階段を降りようとしていた足を止めて飛沫を見る。 「飛沫?」 極夜が呼んでも、飛沫は振り返ろうとしない。何かに引き付けられるように窓の方へ寄り、その閉じられた枠の隙間から微かに外の光の漏れる窓に手を掛け、開いた。 「「……っ」」 薄暗かった蔵の中が急に明るくなり、三人共、一瞬眩しさに眼が眩む。 「飛沫?どうしたんです。何かあるんですか?」 飛沫の様子が少しおかしい事が気になって、桂斗も極夜も飛沫の側まで戻ってきた。しかし飛沫はそれには答えず、何気なく眼下に広がる街を見渡し、ふっ、と視線を下げた。 「……兄さん。あんな処に、扉が……」 疑問符を頭に浮かべる二人を振り向いて、飛沫は窓の下を指さし、彼処。と、答える。二人はその指し示されている物を見るために、窓から頭を出した。 「扉、ですね」 そう言うなり、飛沫は白い刀を持ったまま、そそくさと降りていった。
「変なの」 飛沫達は、先程の武器を蔵の一階に置いて、扉の前に来ていた。 「何の扉だ?これは」 そう言って桂斗は扉を押してみた。重々しい外観とは違い、扉は意図も簡単に開いた。 「オイオイ……マジ何なんだよ?」 桂斗に比べて、極夜と飛沫は至って落ち着いていた。何でそんなに冷静になれるのか。 「どうする?」 飛沫の言葉で三人とも黙り込んで考え込んでしまう。 「なぁ、入ってみようぜ?」 飛沫は、誘われる様な感覚が押さえられずに桂斗に同意を求める。 「……良いじゃんか。大丈夫だって」 飛沫の好奇心旺盛な薄い色の瞳が極夜に向けられる。こうなっては極夜に反論する力は残されていない。極夜は渋々承諾する事にした。 「……判りました。仕方がないですね」 飛沫は極夜に抱き着くとすぐに離れて倉庫の方に走っていった。 「お前も飛沫にだけは甘いよな〜」 二人がこんな遣り取りをしている間に、飛沫は懐中電灯を見付けて、ついでに蔵の中に置きっぱなしにしていたリュックを持って戻って来てた。 「お前、そんなの持って行ってどうするつもりだ?」 気にしつつも、桂斗は飛沫から懐中電灯を受け取ってスイッチを入れる。 「では出発します。」 こうして、飛沫達は黒い通路の中に入っていった。 その時、後ろから小さな何かが近付いて来ている事に、三人は全く気が付いていなかった。
丁度その頃。蔵に戻ってきた清十郎は、飛沫達がいなくなってきている事に気が付いた。会社の部下を迎えてから、十分くらいの時間しか経っていないのに、三人の姿は何処にも無かった。 「彼奴等、何処へ行ったんだ?」 出かけた様子は無い。それが、尚のこと気に懸かる。 「三人共胴着を着ていたから、外出するということは無いだろうし、部屋に戻った様子もなかったがなぁ」 今回は長くなりそうだ。と呟いて、清十郎は蔵を閉めて家に戻っていた。
5 通路に入って、約十分。 「それにしても長いな〜」 極夜の言葉で、桂斗と飛沫はその場に足を止めた。 「どういう事?」 極夜に言われて飛沫と桂斗は穴の中を見回してみる。そして、ある事に気が付いた。 「兄さん、穴が……広くなってる。」 入った時には人一人しか通れない様な細い隧道だったのに、今は三人並んでも有り余る程の広さになっている。さらに歩いて行くうちに、隧道の中は肌寒くなってきたので、飛沫は襟を掻き合わせた。汗を掻いた後の湿った胴着では寒さが嫌に応える。 「?飛沫」 極夜がそれに気付いて飛沫に声を掛けた。 「……風が吹いてる」 飛沫がそう言っている間にも、三人の間を尚一層冷たい風が駆け抜けていく。入って来た入り口を見れば、点の様になって外の光は此処までは全く届かない。 「さっき入り口を開けたまま来たから、其処から吹き込んで来たんじゃないのか?って、あぁっ!!?」 急に三人のいる場所が暗やみに包まれた。桂斗が持っていた懐中電灯の電池が切れてしまった。 「あぁっ、くそっ、電池が切れちまった」 懐中電灯の明かりがすぅっと消えていって、急に周りが真っ暗になってしまったせいで三人の顔も全く見えなくなってしまった。 「……若葉の匂いだ」 若葉の匂いがした途端、飛沫達は急に、何かくらくらと眩暈の様な感覚に襲われた。緑色の靄が視界に広がり、平衡感覚が無くなる。三人が若葉の幻惑の様な匂いに気を取られた時だった。 「何故そんな所で立っている」 急に三人のすぐ側に三人とは別の声がした。いきなり声を掛けられて正気に戻った三人は、驚いて辺りを見回したが暗闇のせいで声の主が何処にいるのか見付ける事が出来ない。 「何故歩かない。棒の様に立って、楽しいか?歩きながら話そう。“タールートン”の出口はすぐ其処だ」 “……誰?” 声の主はどうやら男の様だ。男の言うとおり、遠くに小さな明かりが見えた。飛沫達は取り敢えず、男の言うとおり、その光に向かって歩き始めた。 「タールートン?」 それを聞いて相手は軽く笑った様だった。 「まぁ、潜る者は大概、気味悪がったりするものだが、私の様な人間にとっては返って居心地が良い。一人になりたい時、物事をじっくり考えたりしたい時、此処は本当に役に立つ」 飛沫の隣を歩いているらしいその男からは、まるで雨の後の森の様な匂いがした。 “……良い匂い” 「たまにはお前様方の様な人間にも、出逢える様だしな」 ふ、と吹雪は後を振り返ったが其処にさっきまで見えていた入り口の光を見付ける事は出来なかった。 暫く男と一緒に歩いた。 話しながら歩いているうちに、暗い通路は終わりを迎え、目の前が開けると同時に急に光に包まれた。飛沫達は、その光の眩しさに眼が眩んだ。 「こ……此処は」 其処は飛沫達の住んでいた街ではなかった。 「やぁ、いらっしゃい。こんな所へ一体何をしに参られたのかな?」 極夜も桂斗も、驚いて何も云えないまま立ち尽くしている。 「不思議な格好をした者達だ。一体、どうやって迷い込んでしまったのかは判らぬが、余り此処に長居しない方が良い。城の者達に見付かってしまっては厄介な事になるからな」 そんな話をしていた時、遠くに人の影が近付いて来た。 「人が来た。早くこの場を離れなさい」 男はやんわりとそう言って飛沫達に白い壁の方を指した。其処には小さな門が見え、その先には真っ青な空が覗いていた。 「あの子門を出て、少し降りると広い階段の道に繋がっている。其処を広い階段の方にずっと降りて行けば、先は雲海へと続く波止場になっている。其処に“チューユィ”が一頭繋がれているから、それに乗って此処から逃げなさい。」 そう言って男は優しく吹雪の背を押した。 「気を付けてな」 その時、自分達を呼び止めようとする声がして、後から何人かの人間が追いかけて来たが、飛沫等はそれを無視して門の方へ急いだ。男の方を振り返ると、追って来ようとした者達の前をするりと通り過ぎて、その者達が男に向かって慌てて頭を下げるのが見えた。 「海だ!」 海に迫り出す様な波止場に、大きな躯の虎の様な生き物が繋がれたまま踞って眠っている。 「……こっ、これに乗るのか?」 桂斗は心配そうに言ってみたが、今更戻る訳にも行かず、寝ている虎が繋がれている柱の縄を解いた。それに気が付いたのか、虎は急に目を開き、その巨体を持ち上げた。飛沫達は驚いたが、その虎が寝ていた所にふいと目を向けてますます驚いた。 「!兄さんっ!これ!!」 其処にあったのは、さっき飛沫達が家の蔵で見付けた三本の武器だった。 「どうして……?」 三人とも呆気にとられてしまったが、すぐに後から追っ手の声が聞こえた。 「仕方がない。行きましょう」 そう言うと極夜は素速く虎の背中に乗せられた鞍に跨って飛沫を引っ張り上げた。 「桂斗、早くっ!」 言われて、桂斗も急いで武器を持って極夜の後に乗った。そして極夜が手綱を引くと虎はふわりと躯を浮かせ、海の上へ飛び上がった。 まるで宙を泳ぐ様にして浮かび上がったかと思うと、がくんと下がり海の中へ飛び込んだ。驚いて息を止める暇もなく海面に水飛沫が当たる感触がした。海面に叩き付けられるのと、ほぼ同時に目の前が真っ白になり眼を閉じた。 “……月竜(ゆえろん)” 蔵で呼ばれた声と、全く同じ声に再び呼ばれたような気がして飛沫が目を開くと、其処は明るい灰色の空間だった。 「こっこれは……!!?」 海に飛び込んだはずなのに水の感触は何処にもなかった。その代わり、白い何かの中を落下していた。 「……!これは雲だ!!」 飛沫をしっかりと掴んだ更夜が答えた。 「海に飛び込んで何で雲があるんだーっ!!?」 桂斗の絶叫と同時に雲を抜け、急に視界が開けた。 「「「…………!」」」 視界に飛び込んできた物に、飛沫達は愕然とした。 「こっ、此処は何処だーっ!!?」
6 太陽が真上に昇り、傾き始めた頃、北の森の上空に、二十近くの黒い点が現れた。 「もうじき、“チョントゥー”に着きますね」 犬型の獣に乗った者が、丁寧な口調で言う。 「あぁ。どうやらこのまま、何事も起こらずに着く事が出来そうだな。随分時間が掛かってしまったが、これくらいなら大した事にはならないだろう」 馬型の獣を駆る者は、落ち着いた口調で話す。清涼感のあるその声に、“はい”と、元気な返事が返ってきた。その時だった。 「将軍っ!あれはっ!」 獣はそのまま森の方へ飛び去ってしまった。 「追うぞっ!あの者達を逃がすなっ!何としても捕まえるのだっ!!!」 間髪入れずに男が叫び、“はっ!”と周りの者達が呼応して、男に続いて飛び去った獣の後を追った。
飛沫は、必死で獣の背中にしがみ着いていた。 「兄貴、これからどうしよう?」 三人それぞれにあの武器を持ったまま、話しをしていて前に注意が逸れていた時だった。急に目の前に巨大な木が現れた。 「兄さんっ!危ないっ!!」 極夜は驚いて避けようとしたが、それより早く虎はその木に突っ込んだ。枝の間を抜けた瞬間、急に極夜が手綱を放してしまった。頭に太い枝が当たって、極夜は気絶してしまったのだ。 「兄さんっ!」 慌てて桂斗が助けようとしたが、バランスを失って極夜もろとも虎から振り落とされてしまった。 「兄さーーーんっっ!!!」 木に突っ込んで驚いた虎は桂斗と極夜を振り落としたまま、飛沫だけを乗せて森の中に突っ込みがむしゃらに飛び回った。 −続く− お……終わった。やっと終わりました第一章。長かったなー……。 こんな無双書く様な人はいないだろうなー。 ブラウザ de Back |
||