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メイロボ号![]()
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最後の水汲みロボットである。写真中央の水槽からスタートエリア付近のタンクまで運んだ水量を競う。ちょっとプロの腕を見せてやろうと大人が本気で作ってしまった。2位が5リッターであったのに対し、70リッター近くを運んでしまったのだから、学生さんからは「大人気ない」と言われ、一人の審査員からも「ルール違反ではないか」と酷評されるなど後味が悪かったが、大会会長の中野先生はじめ古くからの関係者が未だに覚えていて下さるのがうれしい。 このロボットは全く冒険をせず、すべて既存の技術でまとめ上げた。信頼性がいかに大事か理解していただけたの
ではないかと自負している。回路を作り上げた永浦清氏はベテラン技術者であり、電子的なトラブルも皆無であった。ロボット筐体はオール木製。モータはすべてマブチのDCモータであるものの何度やっても同じように動く。大型ではあるが、栄光のロボットとして我が家の屋根裏に動態保存している。
2004.6.11追記
現在ROBO-ONEの世界では知らぬ人の居ない有名人、菅原雄介君がこの大会に出場していた。恥ずかしながら彼がこんなに成長(失礼)していたとはNHKの人に教えられるまで気付かなかった。この大会の一年前から知っていたが、この時は「関本さん、やっとマイコンが使いこなせるようになりましたよ」と目を輝かせていた。
"Raven's Treasure"というかわいいロボットを引っさげ、黒ずくめの衣装でパフォーマンスを繰り広げたのを古い方なら記憶していると思う。我々のチームと中野研、江村研、長南研チームが四つ巴で優勝争いをしているところにいつの間にか割り込み、堂々の4位入賞を果たしている。
彼がその後12年間もロボットに対する情熱を持ち続け、その道を極めた事は、駆け出しの頃を知っている私にとって感無量である。夢を持ち続ければ、いつかそれがかなう事を実感した。彼の恩師渡邊眞先生も高いところで喜んでいると思う。
メイロボ2号
水汲みからテニスボール集めに替った最初の大会。昨年の高性能ポンプを継承し、ファンによる負圧でボールを吸い取る構造。この方式を採用した初めてのロボットではないかと記憶している。昨年の失敗に懲りて手を抜いたところ、予選も通過できなかった。
負圧にするファンのパワーがぎりぎりで、ボールを取り込めない可能性があった。しかし、大パワーのファンを並列にすると電池が持たない可能性もあり、迷いつつもファンを1個にしたところ案の定ボールに乗り上げた。
翌日のデモンストレーションでは止っても良いとファンを二つにしたところ、十分準優勝できただけの成績であった。音がうるさい物の素性は良いロボットだったので、6年後に迷ロボ凡点丸として復活。
メイロボ3号
仕事が忙しく時間が取れなかったため、残念ながら駄作。
迷ロボ凡点丸![]()
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子供たちのロボコンジュニアに刺激され、4年ぶりに知能ロボコンへ復帰するためメイロボ2号を改造。退社によりかつてのチーム編成が不可能になり、すべて自分たちでやることにした。マイコンを使いこなす腕がないため、梵天丸の基盤をそのまま使用。5W程度のツカサDCギヤードモータに変更。モータドライバはそのまま、電源のみ分離。
4点のIOを追加できるので、センサとモータを追加。梵天丸プログラム言語「まきもの」が当時いくつかの問題が残っていたため、動かすまで苦労だったが、動いた後は誤動作もなく安定していた。
3年ぶりにニッカド電池を出してきたため、メモリ効果が起きて途中バッテリー切れ。折悪しくNHKのTV放送で流れてしまった。もっともバッテリー上がりがなくても、最後まで動いたかすこぶる怪しい。子供が学校で冷やかされたと言うことで、次年度の上位入賞を決意。
子供たちと一緒に工作ができるようになり、楽しみも増えた。娘のロボコンデビューは実は1993年。デモ走行時にスイッチを入れさせた。幼稚園だったかな。
迷ロボ凡点2号![]()
梵天丸の可能性を試してみたくなり、梵天丸だけの構成で出場。これなら小学生にもプログラムできるし、作ることもできる。
ベルトでボールを囲い込むアイディアはメカトロで遊ぶ会の雑談から借用。2台の梵天丸がベルトの両側を引っ張り、巻き網のようにボールを集め、最後は梵天丸もろともゴールに飛び込む。
毎晩子供たちと練習し、本番競技では子供たちに任せた。NHKの密着取材があり熊倉悟アナウンサーと仲良くなったのも良い思い出。たしか、8位前後の成績だったと思うが子供の健気さが評価され?あすなろ賞。
副賞はステッピングモータのセットで、「あれはオヤジのおもちゃになるな」、とは周りの大学生の声。
迷ロボ凡点2000![]()
昨年の方式でもっと上位をねらえるとふみ、より確実にするため3台目の梵天丸の働きを多くした。去年の実績があるので不安定部分を徹底的に改良。ボール全部をゴールに落とすことに成功し準優勝
3台のタイミングをどうやって合わせているのか良く質問されたが、3台それぞれのタイマーで合わせているだけ。電源の安定化だけはしているものの、いつも同じ速度で走ってくれるのでそれで十分。
この年は荏原ゼロエミッション賞までいただき、その上じゃんけん大会では娘がCDプレーヤまでせしめてしまったので、貰い過ぎと少々反省。総選挙と重なってマスコミの取材皆無。こんな事は初めて。
迷ロボ凡点21![]()
知能ロボコンの余勢を駆って出場したパートナーロボット大会。大会の趣旨には反するのだろうが、ロボットのすべきジョブを分解してみるとそれほど複雑な事ではない。1台のロボットで行えば当然難しい。安価・安定の梵天丸の特性をフルに生かし、3つのジョブを3台の梵天丸で分業させることにした。
最後のパフォーマンスは梵天丸でのスイカ割り。子供たちに梵天丸を使った芸を考えさせて出てきたアイディア。梵天丸が障害物であるスイカをみつけ、体当たりしてその衝撃で刀を振り下ろす。セットの仕方が悪く、ぶつかる前にスイカが割れてしまった。司会者が言ったとおり「真空切り」。これ分かれば結構いい歳。写真は一部分解後。天板が付き、その上に右の梵天丸が載る。伊達政宗(幼名梵天丸)の袴は、娘が小学校の家庭科の時間に内職して作った。
迷ロボ10世![]()
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名前の由来は忘れた。盛岡市子ども科学館に納めるメカトロンの試作機を作っていたので、それを転用。昨年までのシリーズが梵天丸兄弟だったが、今回はメカトロンと梵天丸の親子ロボット。メカトロンは10kg近くあり、梵天丸は500g、その組み合わせが妙。
メカトロンはすべて産業用機器を使ったため、信頼性、強度ともに抜群、何しろ私が上に乗っても動く。山本さんのbeastと重さ比べ。
しかし、さすがにゴールに飛び込ませるわけには行かない。そこで子供の梵天丸だけ飛び込ませ、メカトロンでそれを助け上げるというストーリーなのだが、完全に調整する時間が無かった。
ミヤギテレビの取材を受けるが、取材されると成績が悪いと言うジンクスができてしまった。
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メカトロン
新たに作る時間が無く、子供たちも部活で忙しくなってきたため、盛岡市子ども科学館からメカトロンの「未来」ちゃんを借用。端からボールを集めようなんて気持ちは無く、「困ったわ、私手が短くてボールが拾えないのよネ」としゃべらせる完全な受け狙い。
ボール1個「シュート」で敗者復活の権利はあったのだが、これで決勝戦まで残ったのではまじめに作った人に申し訳ないので棄権。
名Robot9![]()
ROBO-ONEで何度もチャンピオンに輝いている、はじめ研究所の坂本元さんと一緒に仕事をさせてもらう機会に恵まれた。強引に引っ張り込んだような気がしないでもないが、共同で知能ロボコンに参加することにした。提供されたチャンピオンロボット、Robot9の部品を組立て、作戦を考える。知能ロボコンの場合完全自律であり、ROBO-ONEのようにラジコンで動作を選択することができない。幸いな事に梵天丸からラジコンと同じ信号が出せるから、簡単に自動でいくつかの動作を組み合わせられる。
ボールをスローインかキックでゴールに入れようと実験してみたが、オリジナルの動きのままでは転倒し、私の腕だけでは調整する自信が無い。すばらしいロボットを手にしても、ボール1個確実にシュートできなければ2次予選にも進めず、1次予選でたった5分しか披露するチャンスが無い。そこで2次予選に進出する無難な方法にあえて変更した。その方法とは、得点用のロボットを新たに作る事! この時なんと、1週間前。
足回りはメカトロンの試作で作った迷ロボ10世を流用。時間が無いため、とにかく作業工数が少なく、堅実なロボットにする。ボールの回収は回転シャフト(旋盤があるのでこんな物はすぐできる)にし、位置決めはモータ回転によるパルスカウントと反射光センサ+反射板。あまりスマートではないが、数メートルに一度ゆっくりと壁にぶつけ、角度の補正をしている。
坂本さんのRobot9にもボール1個シュートしてもらおうと思ったが、落下しそうなもの、転倒したものに手を触れるのは許されないとの事で、転倒し動き回っているのを放置するのは忍びなく、役不足ではあるが、Robot9は転倒する可能性が低い応援動作だけにした。![]()
ここまでの作業が極めて順調だったため、優勝を視野に入れても良いのではないかと馬鹿な事を考えてしまった。乗っている時というのは恐ろしい物で、木曜の夜から日曜まで布団に入らず3日で7時間しか眠らないで没頭した。これほど集中したのは生まれて初めてではないかと思う程。
日曜の朝は優勝は無理としても2位か3位の自信があった。夜中の調整のため騒音が出るボールをゴールに落とすテストが不十分だった他は、完璧に調整した。しかし、しかし、気になる事を一つでも残しておいてはいけないと常日頃思っていたのに、本番ではそのたった一つの弱点が現れ、0.25点差で決勝進出次点に泣いた。
それでも注目すべきロボットとしてデモに選んでいただいたのは大変光栄であった。不思議な事にデモではすべてがうまく行くんだよなあ。それも必ず。おかげさまでロボットの説明も十分聞いていただけたし、競技では触れなかったRobot9の送信機も使い、本来の動きをすべてご披露できたのは怪我の功名かも知れない。
NHKの取材を受けた。二次予選にまで残ってもらわなければ困る、と言う希望がプレッシャーではあったし、全国放送で誰が見ているかわからないと言う事ものしかかったが、かえってそれがパワーの源になったようだ。
久しぶりに完全燃焼。負けて悔い無し。来年も出ようかな、なんて気になっています。もう一度優勝したら引退しようと思っているが、死ぬまで無理かな。それにしても重量12Kgのロボットを調整するのは中年おじさんにはきつい。腰が痛い。小さい軽いロボットにしたいが、純メカ屋の私は産業機器が一番扱いやすいので困っている。
家の豚児どもがそれぞれの道を歩みだし、あまり期待できなくなったのでかつて第一回ロボコンJrで豚児と死闘?!を演じた安達浩史君をスカウト。私の知らない事も知っているし、強力な戦力になった。おじさんが目をかけた若人は菅原雄介を初めとして皆大物になっているから、がんばれよ。
迷ロボ15号![]()
今年は例年に比べ忙しく、新規製作する時間が無い。賞をもらったロボットならいざ知らず、去年決勝進出をわずかなミスで逃したロボットをもう一度出場させても、それほど悪くは思われないだろうと勝手に思い込み、急遽参加を決め、物置から引っ張り出し、火を入れなおしたのは前々日の23日。
試走させてみると、去年良くも2次予選まで残ったと思うほど次々に不具合が出現し、結局金曜は予定通り?徹夜になってしまった。一年も経ち記録も整理していないので、プログラムを思い出すのに半日費やし、プログラムの修正、ハード面での機能強化を行って何とか間に合わせた。
1次予選の競技点は昨年の決勝進出レベルだったので、通過できるだろうと思いきや、今年はかなりレベルが上がっていて1次予選通過次点。敗者復活なんてみみっちい事は考えず、落ちたらそこで止める、なんて事を誰かに豪語したような気もするが、復活の自信はあったので久しぶりに敗者復活戦に出場した。しかし、敗者復活に出ると言うのは決して気分の良いものではないですなあ。
敗者復活戦ではボールに乗り上げリトライ、時間がなくなりタイムアップ1秒前に手持ちのボール4個をゴールすると言う薄氷を踏む2位で通過、次の日まで遊べる事になる。しかし、予想外の動きが出始め、帰宅後小一時間プログラムを見直したが皆目わからない。動きを注視していてようやく原因を突き止めた。ホイールの止めねじがゆるみ、タイヤ円周上で5mm程のガタが出ていた。足回りの信頼性は抜群だと自負していたので、調整で何度も何度も動かしていると、ねじの緩みは起こりがちである事を忘れていた。信頼性を高めるためセンサ一個追加とプログラム改良を行う。2次予選は何とか通過。
決勝となると競技時間も倍の10分になるし、ロボットの説明もできるので雰囲気は一変し、これ以上望まない私としてはリラックスして競技を楽しめる。たまたま隣の台で競技をしていた同じく古株の小出さんと競技場でビールで乾杯しようか、なんて冗談を言っていたくらいだ。残りのボールが三個になった時点で、そのうちの一個が嫌な位置にあり、ロボットがそのまま進めば巻き込んでしまう事が予想された。ここで大きなくしゃみでもしてボールが動けば、あと7点取れるな、なんてことを考えていたら、案の定ボールを巻き込みコースが大きくずれ、回復不能なことが明白なので終了宣言を行う。
後で確認してみたところ、息でボールを動かしてはいけないとルールのどこにも書いてないんだよなぁ〜。それどころかロボットを手で動かしてはいけないと書かれていても、対象物を動かしてはいけないとは書いてないぞ。いつか言っておこう。
結局5位の成績だったが、二年間ほとんど同じロボットを持ち込み、当年一日で整備したロボットでは出来すぎかも知れず、十分満足できるものだった。ボールの巻き込みは気になっていたものの、確率の問題として運が悪ければ、くらいにしか考えず完璧な対策を取っていなかった。ところが、不思議な事に競技台では気になっていたところが必ず出現してしまう。「あそこには魔物が居る」と言われる所以。気になるところは絶対に対策しなければダメだと去年も書いていたが、最後は気力の勝負になってしまう。
私を含めた多くの場合、ぎりぎりで1次予選を勝ち上がるよりも、敗者復活から勝ち上がった方が強くなるようだ。実戦経験が一度多くなるから、それだけ不具合を修正するチャンスに恵まれる。それでも敗者復活は出たくない。
恥ずかしいのでトップシークレットだったがインタビューで種明かししてしまったし、来年からこの手を使うのは止める予定なので、もう一度説明しておこう。私のロボットは一度に4個のボールをゴールに運ぶ。ボールは3色なので必ず2個以上のボールが同じ色になる。スタート前の準備時間が二分あるから、その間にボールの配置を見て一番多い色のゴールに向かうようスイッチで設定する。無作為にゴールするより最低6点良くなる。ロボットが自分で判断し、一番得点の高いゴールを目指していると端からは見えるところが良い。
この方法は、昨年の予選前日に気付き、大急ぎでスイッチを増設した。ところがリトライでボールの再配置が行われた時に設定し直すのを忘れ、わざわざ一番遠いゴールまで行き時間切れとなってしまった。策士、策に溺れるとはこのことか。とにかく競技台に上がると、人間の方が上がってしまい正常な判断ができなくなり、予想外のことが起きるとパニックになってしまう。(私だけ?) できるだけ自動化しヒューマンエラーを防止させた方が良いのは言うまでもない。
多くのロボットをじっくり見せていただいたが、どう見ても私のロボットはつまらない。昨年はとにかく決勝戦に残れるロボットを準備しようと本番一週間前に決意し、最も簡単に作れ、そこそこ得点できる方法を取ったら、何の変哲も無い極めて常識的なロボットになってしまった。若い人たちが果敢にチャレンジしているのを見ると、お客様に楽しんでいただける物を作らねばならないと思うのだが、時間が取れるかと言う事よりも情熱を維持し続けられるか、と言う事の方が難問だ。
ロボコンの選手になって作業台にいると、偉い人の知らない悲喜が見える。落胆し気力を失った人、騒いでいる仲間から離れ、一人黙々と機材を整理している少年、確かに簡単な事ではないけれど、少しずつ上を目指して進んで行って欲しいと思う。ここでの経験は机の上では決して得られない。
Intelligent Robot Contest Festival 2000 プログラムに寄稿
めいろぼ奮戦記
関本孝三(関本ファミリー競技隊)![]()
神話(中野先生談)となった水くみロボット「メイロボ号」を引っさげ、初優勝をはたしてから早8年が経つ。あまりの強さに学生さんから総スカンをくい、翌年から手を抜いたところ優勝に絡むどころか点も入らなくなり、第1回最先端ロボコンでの惨憺たる敗北を機に引退したつもりでいた。3年前の第1回ロボコンJrに子供たちが出場し後ろで見物していると、こんなに面白いものはない。子供にばかり楽しい思いをさせてなるものかと一昨年知能ロボコンに復帰した。このときから無理やり子供を道ずれにしたが、雰囲気がすっかり気に入ったようである。
子供主体で参加できるのを待っていたが、梵天丸というすばらしい素材に巡りあえ、度胸もついてきたよう
なので「迷ロボ凡点号」を作り、小学生2人でやらせてみることにした。梵天丸がいかに優れていても、無改造で知能ロボコンに出場させるのはかなりつらい。私も所属している「メカトロで遊ぶ会」のメーリングリストで、「梵天丸を駆使して知能ロボコンで勝つ方法」と言う話題で盛り上がったことがある。その中でかなり現実性がある方法として2台の梵天丸にベルトを引かせ、ボールを取り込んだまま梵天丸もろともゴールに飛び込むというアイディアがあった。ボールは同一方向に回転し互いに乗り上げてしまう欠点があったが、簡単なこの方法は魅力であり実際に試してみると、牽引速度をあまり上げず時々バックすることにより、ボールは自重で落下することが判明したため、この方法を借用した。
2台の梵天丸を使うのは良いが、どのようにして同期を取るかが問題である。梵天丸には標準で入出力端子があり、これを使えば簡単な通信は可能である。しかし、選手が小学生である以上、彼らに理解できなければならず、タイマーによる同期のみとした。梵天丸がゴールの底に落下しても、ベルトの半分近くが競技台上に残ってしまう。そこで3台目の梵天丸が登場し、ベルトの中間部分を押す。3台の同期は面倒なのでワンウェイクラッチで単なるトレーラにし、最後の一押しだけ働く。悲喜こもごもの結果は昨年のNHK-TVで放映された通りである。
私の長年の経験から若い皆さんに申し上げたいことは、とにかく良いチームを作ること、そしてdecisionができるEngineerになっていただきたい。また、少なくても梵天丸で知能ロボコンに出場できることだけは証明できたので、小中学生の参加が増えればうれしい。しかし、わが関本ファミリー競技隊も存亡の危機にある。試験、受験の波がひたひたと押し寄せつつある。あすなろから檜になるのは容易な事ではない。
長年のロボコンを支えてきた中野先生、歴代の実行委員の皆様に心から御礼申し上げ、ますます盛会になることを祈って止みません。最後に愚息の感想文で締めくくります。
「ぼくは去年初めて知能ロボコンに出ました。大人の人にまじって試合ができたことが、とてもうれしかったです。点が入らないかと思ったけれど、一つボールがゴールに入ってほっとしました。おまけにあすなろ賞までもらえて、ほんとうにうれしかったです。これからも出場して、いい賞がもらえるようにがんばりたいと思います。」 関本崇文(小4)
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| 渡邉先生撮影のロボコンジュニア のスナップ。後姿は岩本先生。 左隣はこの後、ジュニアの賞を総な めにした安達兄妹 |
知能ロボコン、ロボコンジュニアに毎年いらして大声で若い人たちを叱咤激励して下さっていた渡邉眞先生が2002年12月に亡くなった。私自身は15年来の知古であったが、子供たちも大変かわいがっていただき、会う度に「どうだ、元気か」とおっしゃっては頭をくしゃくしゃに撫でられた。
昔、ロボコンジュニアで写した子供達の写真を頂いたことがある。。お礼のつもりで花でも机に置いてもらおうかと思ったものの、私のような薄汚い機械屋からもらっても仕方が無かろうと、家内からですと差し上げた。「アンタからならいらねえが、奥さんからならありがたくもらう」
その花はしばらく先生の机上にあり、かすみそうはほどなくドライフラワーとなった。今、私の座右にある。
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