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神社の祠
昔の光 いま何処
くりはら田園鉄道の最終駅「細倉マインパーク前」より細倉鉱山跡地を経て西方へ歩くこと45分、樹齢が100年以上もあると思われる木々に囲まれた所に「細倉山神社」があります。
藩政時代の鉱山の最盛期に建てられたと言われていますが、鉱山が閉山した昭和62年(1987年)までの間は、地域の人たちや鉱山関係者から手厚く保護されていたのではないかと思われます。
今は雑草と苔に覆われていましたが、最盛期には多くの人たちが行き来していたのでしょう
境内に佇んでいると、どこからか当時の賑やかな祭りの笛や太鼓の音が聞こえるような気がしました。
レトロ調の電車
車窓からはこんな風景が・・・
木の素材を使った車内
乗客が居ようが居まいが、電車は田園の中を走り続けています
運転席
日本で初めて鉄道が開通したのは明治5年です。明治末から大正期にかけて全国的な鉄道の建設ブームがありました。
宮城県最初の鉄(軌)道は、明治15(1882)年開通「木道社」で、石巻などから海路運ばれる貨車の輸送として、宮城郡蒲生から仙台まで(12km)木道(鉄板を張った木製のレール)を敷き、その上を馬車が荷物を積んで走るものでした。
くりはら田園鉄道の前身である「栗原鉄道」は、大正7年1月に宮城県石越=細倉鉱山までの26.2kmを走った鉄道です。当時は細倉鉱山から産出される鉛・亜鉛・金・銀などの輸送や生活動線として大いに賑わいましたが、鉱山の不況や自動車輸送の普及に伴い次第に衰退していきました。
平成7年4月からは、沿線自治体等が出資する「第3セクター方式」での「くりはら田園鉄道」として再生し、動力は電気機関車から気動車に切り替え、地域の生活や廃山の坑道を利用しての「細倉マインパーク」への観光の足として再スタートしています。
これを機会に、車両もレトロ調にイメージチェンジしています。
車両は1両だけですが、土曜日であったこの日石越から乗った乗客は私達二人だけで、途中買い物と思われる二人のおばさんが乗り降りした以外、終点の細倉マインパーク前までは貸しきり状態でした。
掃除の行き届いた車内は、昔の「汽車」を彷彿させるような木の温もりが漂い、壁には陶器で作った絵が飾ってありました。
窓ガラスには「田園鉄道」ならではの、一面黄金色になった田んぼや畑が飛び込んで来ましたが、田舎育ちの私は何処までも広がるこの懐かしい田園風景に心を奪われ、子どものように窓ガラスに顔を押し付けるようにしながら、45分の田園鉄道の旅を楽しみました。
この「くりはら田園鉄道」は、残念ながら平成18年度には廃業になるということです。
2003.9.27

